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株式会社 ケーイーコーポレーション 取締役社長 梶本丈喜 さん

梶本丈喜さん株式会社 ケーイーコーポレーション 取締役社長 梶本丈喜(かじもとたけき)さん
会社所在地 静岡県清水市
ホームページ http://www.ke-c.co.jp/
(ケーイーコーポレーションは平成24年4月オーエスマシナリーとの合弁によりKE・OSマシナリー株式会社になりました)

◆プロフィール◆
昭和 32 年 静岡県清水市生れ
昭和 57 年 慶応義塾大学院 経営管理研究科(MBA)卒業
同年 ㈱ケーイーコーポレーション入社
平成 7 年 代表取締役社長就任

泥臭い油まみれの修理現場からのスタート ~若気の至りでお客様と大ゲンカもした時代~
KAO:
KEコーポーレーションの事業内容を教えてください。


梶本:
いわゆる一般産業機械といわれるものを作っています。大きく分けますと、自社商品事業と大企業の協力会社としての下請け事業です。自社商品事業としては冷凍機や食品冷却装置などの食品機械、自動車のサービス機器など、下請け事業では主に熱交換器とかコンプレッサーの圧力容器などを作っています。
そして、昨年はイノベーションということで、新商品 10 アイテムくらいを開発しました。環境維持関係、省エネ関係、ちょっと変わったところでは癒しなど環境に配慮したものが中心です。今年は、それらの商品が芽が出るか出ないか、芽が出たものについては花を咲かせていこうという時期に入ってきました。今は転換期ですね。


KAO:
梶本社長は4代目とお聞きしましたが。


梶本:
厳密に言うと4代目ですが見方によってはいろんな捉え方があります。というのは、祖父が創業して、2代目として継いだ父の兄がすぐに事故で亡くなってしまったのです。その後を私の父が引き
継ぎましたので、私は3代目とも言えるんです。また、株式会社を設立して今のケーイーコーポレ
ーションにしたのは父ですので、その意味では2代目とも言えます。
創業は明治43年であと1年余りで 100 周年というところにきています。


KAO:
ほ~、100 周年ですか。
そのような会社経営という家庭環境に生まれ育って、実際に後を継ぐまでにはいろいろおありになったと思うのですが。


梶本:
とりわけ、経営の教育をされたということはないのですが、経営者の一人息子として、祖母や父母にも継いで当然のような雰囲気があり、知らず知らずのうちに自分が継がなければならない宿命と
いうのを感じて育ったように思います。まあ継ぐように仕向けられたというところはありますね。
必然的に自分でも継ぐような気持ちになっていきました。
それでも継ぐか継がないかは自分の人生なのだからと迷った時期もあります。ある人に「人間には宿命というものがある。社長業は誰でも簡単になれるものではない。
それがある程度努力することによってなれるのだから、それも宿命として受け入れてやってみたらどうか」と言われたことがあり、それもやってみるかと思えるようになった一因です。


梶本:
実は当時、商社マンになりたいという希望を持っていたのです。実際就職も 2 社ほど内定していてほぼ決まりかけていました。
ところが、ちょうどそのころ、父が狭心症で倒れることが何回が続い
たのです。
私も救急車に乗り込んだこともあるし、もうだめかもしれないと思うこともありました。
そんな状況で、母からも大学院を卒業したら就職しないで早く継いでやってほしいと言われましてね。
院を卒業してすぐに父の会社に入社し東京営業所に配属されることになりました。
それが今日の私のスタートです。


KAO:
入られてみていかがでしたか。


梶本:
油まみれの修理からのスタートでした。会社の中でも一番小さなサービス部門で、泥臭い現場の最たる部署でした。
今まで勉強してきたことと実際の仕事のギャップに対する葛藤を非常に感じましたね。
それまで大学院で経営の学術的なところを勉強してきたのに、それはまったく役に立たない。
中小企業の下積みって言うのはこんな苦労するものなのかと。
何のために大学院まで行ったのか、ただの肩書きを得るためなのかとね。


KAO:
まったくの現場からお入りになったわけですね。
その苦しい葛藤からはどうやって抜けることができたのですか?


梶本:
私は性格的には前向きに考えるほうだし、意外に負けず嫌いなところがあるんです。どんな部署でも配属されたらそこで一番にならなければならないと思ったんですね。
大学院で学んだことはいつかきっと役に立つだろうと思い直しました。
そして今は与えられた修理という仕事の中で一番になろうと決めました。
その時点ではその後どんなルートをたどるのかはまったくわかりませんでしたが、最終的には社長を目指すのだけはわかっていました。
ですから、将来どんな部署に配属されても、そのときそのときの与えられたポジションでベストを尽くそうということを決心したのです。
でもそのおかげで、機械の基本を覚えましたね。
私は文系ですが、今でもお客様によく理系に間違えられますよ。
話の内容からあなたは技術者ですねとよくいわれます。
サービス時代の苦しかった4 年間の価値はそこにあると思っています。
何しろビスとかワッシャーとか、ねじの締め方ひとつ、ハンダ付けひとつ出来ないところから始まりましたから。


KAO:
文系が理系に…180 度の転換ですね。そこには相当な努力があったのでしょうね。負けず嫌いな性格が功を奏したのでしょうか(笑)。
その時代の、今でも思い出すようなエピソードはありますか。


梶本:
いやあ、よくケンカしたんですよ。遠縁に当たる人が東京営業所の所長で、この方とも相当やりあいましたし、働き始めた数年間は、お客様とも、大ゲンカしましたね。一生懸命やっているのに「お前、修理がへたくそだな」とか、「まだ直らないのか!」とか、「なんだ、こんなポンコツ機械!」とか言われると頭にきちゃってね。
機械や自分をけなされるともう我慢できなくて。
今ではいい思い出となりましたが・・・(笑)。
当時はプライドが高かったんだと思うんですよ。
なまじ、大学院なんか出てますからね。
私は慶応の経営管理研究科の 4 期生なんです。
経営管理研究科はハーバードと日本で初めて提携してスタートした大学院で、ケーススタディではまだ日本のケースがなくてハーバードのものを使っていたというような時代でした。
落第がある大学院ということで必死に勉強しました。
振り返るとかなりのエリート意識を持っていたように思います。
お客様とのケンカは若気の至りというやつですが、すべてそういうエリート意識からのプライドの高さからくることだったと思います。
そうやって社会でやっていくうちに頭を叩かれ叩かれ、打ちのめされたり、反省しながら、現在があるのですが。


KAO:
現在の穏やかな梶本さんからはそんなけんかっ早さは微塵も感じられませんね。
その後経営に携わるまではどんな経過をたどられたのですか?


梶本:
サービスを 4 年やりまして、その後据付業務でフォークリフトに乗ったりトラックを運転したりを経験しました。後はずっと営業畑で営業課長を経て専務になる直前まで営業部長でした。37 歳で専
務になり、39 歳で社長を継ぎました。


下積み時代の経験が糧となりいよいよ社長に。 ~新事業への展開~
KAO:
社長になるまでのご経験で学ばれたことは何でしょうか?


梶本:
人の気持です。
従業員がどういう気持ちで働いているかよくわかるのです。
全部自分がやってきたことですからね。
営業マンもサービスマンも動きを見ていると気持が手に取るようにわかるんです。
嫌々やっているなとか、前向きにやっているなとか、ズルしてるなとか、誠実にやってるなとか、一生懸命がんばっている、がんばっていない、いいことも悪いことも全部わかりますね。
上司にこんなことを言われたら嬉しいし、こんなことを言われたら嫌だし、こんなことを言われたら頭に来るしとか、そういった人間関係の機微について学びました。まあ、もともと感受性が高かったとは思いますが。
それからお金の価値ですね。入社当時、早出、遅帰りすると 500 円の手当てが付いたんですよ。遅
く帰ってきて早く出るのって大変なんですが、500 円でももらえるとちょっと救われた気持ちになるんです。
500 円って言うのは従業員にとってとても大事なんだと。もちろん他の従業員と同じ給与体系ですから、私にとっても非常に大事な 500 円でした。当時会社はどん底でボーナスも出ないような状況で、何でこんなボロ会社に入らなければならないのかと思いましたよ(笑)


KAO:
若いときのご経験は宝ですね。それでは、社長になったときはどんなお気持でしたか?


梶本:
嬉しかったですよ。プレッシャーは…あまりなかったかもしれませんね。


KAO:
どんな嬉しさだったのですか?


梶本:
若くして 40 前に社長になれたということですかね。というのは、実は(社長になるのは)いつでもいいやと思っていたんです。
しかし、その頃父がガンになってしまい、古参の重役たちが早めに継いでもらったほうが安心だと言うようになったのです。
もう十分にやれる力量があるからと彼らの後押しがあって社長になりました。
一生懸命やってきたことが周りに認められてとても嬉しかったのだと思います。


KAO:
社長になられたとき、どんな抱負を持たれましたか?


梶本:
大学院での研究テーマが「中小企業における事業転換の成功条件に関する研究」というくらいで、それまでの下請け事業主流の経営から新しいものを自社で作って行く経営に転換したかったのです。
その気持はずっと続いており、会長が作ってくれたベースを大事にして、さらに創業者になったつもりで自社商品の部門を創設し伸ばしていこうと考えました。
そして実際に 10 年前に新工場を作って新しい自社商品開発に注力してきました。それが今のシステム事業部です。


KAO:
いよいよ大学院で学ばれたことが役に立つときが来たのですね。
夢のある新社長の誕生ですね!
その当時の夢の実現度は、今どのくらいですか?


梶本:
まだ 30%くらいですか。やっと基礎が出来たというところです。新工場を作るときに大きくゆっくり育てようと思いました。最近の派遣労働ではありませんが、人をバッファとして利益を出すやり方ではなく、従業員に定着意識を持ってもらい、社員の成長と会社の成長を一致させるというやり方で大きく事業を育てたいと思ったのです。終身雇用であってなおかつ能力主義的なものをミックスさせていくというような。
私は一生勤めてもらうということは今でもいいことだと思っています。


前途洋々からの挫折と回復 ~病気と相次ぐ友人の死から再び社長業の喜びを感じるまで~
KAO:
社長業をやっていての喜びは何でしょうか?


梶本:
実はここ一年ほどそれを実感しています。社長業を継いだときは確かにがんばりました。
バブルが終わったときで、新工場を建てて 10 億の投資もしましたし、大変だったんです。
3,4年くらいは販売店さん(とのネットワーク)を構築するのに一生懸命でした。
それは周りがびっくりするくらいしゃかりきになって動きましたね。
大変でしたが、販売店さんにもいい人にも恵まれ、一緒に仕事するのが楽しくてたまりませんでした。
たとえば機械が 5 台、10 台と売れるとキャンペーン旅行の企画をしたりと、遊びの要素を入れて仕事をしましてね。
前向きな人が多かったのでどんな困難にも立ち向かって仕事をすることができました。
私にとっては青春時代とも言ってよい時代です。


梶本:
ところが、それがひと段落してから体を壊したんです。営業ですからお付き合いもあって飲みも食いもずいぶんしましたし、時間も不規則で生活習慣がぼろぼろになっていたんですね。
血糖値が上がり糖尿病と診断されました。
どんどん痩せていくし、昔のような体力もなくなりそれはショックでした。
ガンではないかと疑ったりしました。
それからは体が資本、健康第一という考えになって仕事に対しては一歩後退という形になりました。
健康を考えてその頃趣味として始めた茶道や英会話やジム通いはずっと続いています。
ああ、登山もありました。
それはそれで楽しいことなのですが、社長業を継いだ頃を思い出しては昔のようなバイタリティがなくなってしまったなあと、だん
だん無力感も感じるようになっていました。
そうして沈んでいたところに追い討ちをかけるように、親友の遊び友達や信頼していた人が 55 歳で立て続けに亡くなるということが起きたのです。
それはショックで悲しみに明け暮れていました。
仕事にもやる気がなくなり自分の人生で一番堕落していた一年半となってしまいました。


梶本:
KAO コーチに出会ったのはちょうどその頃でした。
そして、コーチングを受けていくうちに、社長業を継いだときのような青春時代の感覚、つまり仕事の楽しさ、バイタリティを呼び戻したいと思うようになっていったのです。
それまで自分の体中心に考えていて従業員にも一線を引くようなドライな関係を作ってしまっていたのですが、それをもう一度立て直そう、友人達の死の悲しみからも立ち直ろう、もう一度自分をやり直してみようと決心しました。


梶本:
それからは、従業員に先頭を切ってやるからと宣言し、いろんな施策も打って去年一年間がんばってきました。
それこそぶっ倒れるくらい人の 3 倍仕事をやるぞ!ということで、実際やりすぎて 2回倒れ救急車で運ばれるというようなこともありました。倒れてつらかったですが、そのくらい私に火がついたということなんです。
しかも去年は私にとっては壁になるようなことが次々と起こりました。
従業員が怪我や病気をしたり、事故を起こしたり、長年付き合ってきた従業員が他界したりと後半 6 ヶ月の間でこれでもかというくらい悪いこと、悲しい出来事が続いたんです。
でも、そこを乗り越えられたのもこの前向きな気持が持続したからだ思うんですよ。


梶本:
そして何よりもそういう状況の中で従業員が私に一生懸命ついて来てくれたということが嬉しいんです。
自分が熱い気持ちを持って旗を振って走っていったら、従業員も突っ走るようにがんばってついて来てくれた…。特に幹部が私の気持に応えてくれて何回も私の前で涙を流して語ってくれたり、倒れたときには社長がこれだけがんばっているんだから自分たちもがんばらなきゃと言ってくれる従業員が何人も出てきたりと…。
こんな短期間の間で自分自身がもう一度みんなに認められて見直されたと感じることが出来たんです。
感激と感謝の気持でした。
この喜びは社長冥利に尽きると言っていいでしょうね。
私にとっては、凝縮された一年でした。
従業員がまぶしく見えましたね。


KAO:
社長業を継がれたときとはまた違う喜びのようですね。
具体的には従業員さんのどんなところがまぶしく見えたのでしょうか。


梶本:
たとえば、私が考えつかないことを進んでやってくれる、指示待ちでなくなった、はっとするような動きをするようになったことです。
どんどん自分で仕事や課題を見つけて動くようになり、その報告をしっかりやってくれて私に安心感を持たせてくれました。
それは目を見張るような変化でした。
また一方で、昨年は 20 歳を過ぎたばかりのお子さんが急逝したり、まだ若いお母さんを亡くした従業員がいたのですが、そういう悲しみの中にあってもしっかり仕事をし人生に立ち向かっている姿を見せてもらいました。
それを目の当たりにして自分にはとても真似できないな、かなわないなと思いました。
従業員の中には私よりも精神的に強くて立派な姿勢を保てる人が何人もいるのだなあと改めて感じました。
そのときに従業員が本当にまぶしくもあり頼もしくもあり立派だなと思ったのです。
そういう体験を去年一年はさせてもらいました。


KAO:
人の素晴らしさがわかるようになったということでしょうか。


梶本:
ええ、従業員には攻撃してはいけませんね。
怒ってはいけないということですが。
自分が出来ていて従業員が出来ていないことがあれば教え諭してあげることは大事だと思いますが、逆に自分のほうが甘い姿勢で従業員の厳しい姿に触れたときには相手を尊敬し学ぶという姿勢が大事なんだと思っています。
社長だからあえて言わなければならないことは立場上ありますが、人間としてはまったく同じベースに立っているのだと思いますね。
この一年で気づいたものは大きいです。


ケーイーコーポレーションの未来 ~従業員の幸せから社会貢献への道~
KAO:
これから経営していく上で大事なものは何でしょうか。


梶本:
我社の社是は「愛」をテーマにしています。
人に対して愛情をもって接すること、厳しさの中にも愛情のある厳しさが大事だと思っています。
経営というのは時に厳しく、心を鬼にしてやらなきゃいけないときがあるけれども、そんなときにも一人ひとり向き合って愛情を持って接していきたいと思っていますね。


KAO:
今後どのような会社にしていきたいですか。


梶本:
大きな会社は結果としてなるのであって、自分から大きい会社にする意思はないんです。従業員と一対一で向き合っていきたいので、そのためには今の規模のままでいいと。
その代わりに一人ひとりに対して何かあったら福祉的支援をちゃんとやれる会社にしたいと思っています。
ベースは従業員の幸せ、生活の安定、向上です。
ざっくばらんに言うと、私の身近にいる人たち、つまり私の家族や友人、そしてもちろん従業員とその家族から幸せにしていくのが第一。
それが出来たら取引先さん。
外注さんとか、購入先さんとか、あるいはうちの商品を買ってくださるお客様との幸福の一致を図っていきたいと。
それが出来たら社会的な貢献が出来るような会社になれたらいいなと思います。
いきなり社会的貢献を目指すのも立派なことですが、私は段階があると思っています。
従業員の幸福、お客様の幸福なしにそこへ行くのはクラッチがすべるようなものだと思いますね。
最終的に会社を通じて社会的に恵まれない人たちや困っている人たちに貢献できるようになって行きたいと思っています。
税金を払うのだけが貢献とは思っていません。


KAO:
そのような会社になるにはどのくらいかかりそうですか?


梶本:
あと5年ぐらいでしょうね。


KAO:
そんな遠い将来ではないですね。
御社を通じて社会に発信したいメッセージは何でしょう。


梶本:
メッセージというより、うちの会社に来てもらったときに、感じがいいな、実に気持がいいなと感じてほしいですね。
お出迎えからお見送りまでさわやかだなあと。
みんなが明るく、のびのび、生き生きと、嬉々として仕事してるなと、仕事ってこんなに楽しいものなのだなと思っていただけるような、ある意味お客様にうらやましがれるような会社になっていきたいと思っています。
アットホームであって、緊張感があるというのは反比例するものではないと思うので、それがミックスされているような会社になっていきたいですね。


KAO:
最後にケーイーコーポレーションさんのPRを。


梶本:
私は「一点突破」という言葉が好きで、ここ5年ほど会社のスローガンとして掲げています。自分の強みを見つけて、針の穴ほどの可能性でも、あるならそこを目指してその強みを全力でぶつけてみる。
そして、それを切り口に突破していくと。言ってみればワクワクドキドキするような会社の突っ走り方をしたいと思うのです。
そのような会社であるとイメージを持っていただきたいと思っていますね。
今でも覚えていることなのですが、私の小学校の頃に母親が先生に言われたそうです。
「あの子は何かひとつのことに対して突っ走る傾向があるので、何かいい方に向かえばいい方向に突っ走るし、
悪い方向に向かえば悪い方向に突っ走る」と。
確かに当たっているなあと思うんですよ。
中学時代にはものすごい反抗期がありましたしね。
それが私の強みだと思うのですが、それは今でも続いているんでしょうね。


KAO:
「一点突破」ですか。
力強い言葉ですね。
会社全体の躍動感がとても伝わってきます。
今日はどうもありがとうございました。


インタビュー所感
梶本社長には平成 19 年 10 月から平成 20 年 1 月までコーチングを受けていただきました。
外見はとても温厚で優しい印象を受けますが、うちに秘める情熱は並々ならぬものを感じました。
そのご縁で社員さんにもコーチングをさせていただくようになり現在に至っています。
インタビューの中にもありますが、ケーイーさんを訪問するととても気持がさわやかになります。
5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)を徹底された社屋と社員さんの実にさわやかな応対に心が洗われるようです。
真正面に大きく見える富士山も一役買っているのでしょうか。
空気がとても美味しく感じます。
今回インタビューさせていただいた中で私が一番心を打たれたのは、様々な危機や苦労を乗り越えながら社員の方々と一丸となって会社を発展させていこうとする組織を作り上げたという点です。
私はよく研修その他で「他人と過去は変えられない」という話をさせていただくのですが、他人を変えるには自分自身の見方・考え方、そして行動を変える以外に方法はありません。
梶本社長はまさに「社員を変えるのではなく自分を変える」ことによって、社員との心の距離を埋め、一体化した組織を作り上げたのだと思います。
最後になりますが、ケーイーコーポレーション様と梶本社長様の今後のご発展を心から願ってやみません。

川添 香(かわぞえ かおる)

組織開発レポート
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