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三協株式会社 代表取締役 三田春彦さん ~その1~

三田晴彦さん会社所在地:東京都目黒区鷹番 2-19-8
◆プロフィール◆
1963年 東京都目黒区生まれ
1988年 国学院大学経済学部 経営学科卒
1991年 キヤノンコピア販売㈱ 退社
1991年 三協株式会社 入社
1992年 東京美装興業株式会社 出向
1999年 三協株式会社 代表取締役に就任
現在に至る
●趣 味
スポーツ(マラソン・サッカー・スキー)
旅 行(4~5 年海外旅行に行っていないのが寂しい…。)
目 標:ウルトラマラソン完走
●将来の夢
のんびりと田舎暮らしをしながら、スポーツを続け、シニアの大会で海外を廻りながら世界記録を出すこと。

子どもの頃から家業の手伝い。高校生の頃には継ぐことを決めていました。


KAO:
事業内容をお聞かせください。


三田:
ビルのメンテナンス業です。ビルの清掃、設備、管理、内装外装を含めて不動産以外は何でもやっていますね。


KAO:
何代目でいらっしゃいますか?


三田:
二代目です。継いだのは 10 年ぐらい前ですね。35、6 だったと思います。
精力的に外へ出ることができて、人とのつながりも柔軟に持てる時期ですし、中小企業の二代目というポジションからするとちょうどよかったと思います。


KAO:
二代目を継ぐに当たっては抵抗とか、他にご自分のやりたいことなどはなかったのですか?


三田:
ぶん親に路線を引かれましたね。小学校時代からこの仕事を手伝っていたんですよ。モップで商店のワックス掛けしたりとか、ポリッシャーを回したりとか。


KAO:
へえ~、小学生から。どんな気持でお手伝いされていたのですか。


三田:
ひとつはね、やっぱりいやなんですよ。カッコつけたい時期じゃないですか(笑)
開店時間前の朝早くから作業が始まりますから、通学途中の友達が通って掃除している姿を見られるリスクがありますしね(笑)
実際見られもしましたし。
ただし、アルバイト料がもらえるというのは大きな魅力でしたよ。


KAO:
普通の家庭でお手伝いしてお小遣いをもらうのとはわけが違うようですね。


三田:
もちろん違うと思います。今、仕事をして報酬をもらうのと同じような感覚だったでしょうね。
ただ手伝えという感じでやらされたのではなかったですね。
仕事として仕込んだ、親もわかってやらせていたと思います。


KAO:
戦力のひとりとして認められていた感じですね。


三田:
そうですね。大学生の頃になると立派な戦力の一部でしたよ。その頃にはある程度自分の気持も固まっていました。


KAO:
お父様の仕事を継がれるという決意ですね。
順調に決められたようですが、どんなところが魅力だったのでしょうか。


三田:
きっかけは親父が事業で成功していたことですね。
何よりも父の収入がサラリーマンよりはずっと多い。
いろんな意味で余裕があったと思います。
父は普通のサラリーマンからの起業でしたから、成功=収入のような面があったのだと思います。
そういうことを聞かされるとそうなんだと素直に思いましたしね。だからといって贅沢をさせてもらえるわけではなかったですが。
気持の上でも高校生の頃はすでに仕事をしていてもカッコ悪いとか思わないようになっていましたね。
大学を卒業して三年ほど営業を経験して、その後一年は同業者で勉強させてもらいました。


KAO:
ほう、営業。


やればできるで一日 100 件の飛び込み。営業のどん底経験が肥やしになっています。


三田:
そう、自分を鍛えるためにね。それまで学生ですから気持ち的にはやはり甘いですから。営業は将来の自分の肥しになると思ったんです。
飛び込み営業なんかは最たるものじゃないかと。


KAO:
営業時代はどんなですか?


三田:
いやぁ、頂点に立った経験もしましたが、つらい経験悪い経験、どん底の経験も数知れずです。
クサったときも一度や二度じゃないですから。
そして、クサりきった後は死ぬほど努力して上を向くという経験もしましたね。


KAO:
へぇ~、興味深いですね。


三田:
入社してからしばらくはとんとんと成績が上がったんですよ。それで新人賞ももらったりしました。
7,8ヶ月たったころですかね。
上司が変わったんですよ。
それが苦手なタイプで。
こう、ネチネチとした感じでね。
厳しいというのではなくてね、とにかくイヤだなあという感覚を呼び起こさせる人。
それまでとんとんときていて、仕事もなんだ何もしなくても大丈夫じゃないか、なんて慢心も出てきてね。
だんだん仕事をしなくなりましたね。
成績的には極端に可でも否でもない状態が続きました。
自分でもイライラ感が募ってきていましたが、どうしようもなくて。


KAO:
はあ、なんだか動かない感じ、低迷している感じですね。
新人賞のプレッシャーとかもあったのではないですか?


三田:
そうそう、周りからは次の賞は何をねらったらいいとかいろいろ言われましたね。それでも自分は
動けないんですよ。人間って弱いですよ。どんどん人のせいにしたりしてクサっていくんです。「こ
んな部長の下でやってらんねえよ」とか(笑)今では最終的には自分の責任だとは思っていますが、
当時はそうは思えなかったですね。
K :脱しきれない負のスパイラルにはまった感じですね。それを打破したのは何がきっかけなんです
か?
三田:振り返ったら、何もないんですよ。何もしていないから結局見込みもなくて。こんなことをしていてはダメだって思いました。
具体的なきっかけは思い出せないんですが、もうがむしゃらに死ぬ気でやるしかないと思いました。
それからはひたすら飛び込みで回りました。回ってとにかく見込みをたくさん作るしかないと。


KAO:
何か底を打った感じですね。
それで一日何件くらい回ったのですか?


三田:
一日、100 件くらいですかね。となりとなりとなり・・・と回っていくんです。


KAO:
ひゃあ、100 件!飛び込みでしょう?精神的にもきつくないですか?


三田:
あまりね、きついって感じないほうなんですけど(笑)、それでもつらいですよ。
全然わからないところに入っていきますから。
初めて訪問するときなんて名刺を目の前で捨てられたり、破られたり。
お客さんも私みたいのが何人も来るわけですから、うざったいんでしょうね。


KAO:
ええ?目の前ですか。それでも回り続ける三田さんのエネルギーってどこから来るんですか?


三田:
昔からやれば何とかなる、やるしかないって思う性分なんですよ。
自分で決めたことは追求するタイプなんです。
上れるところまでは上りたくなる性分でね。
そうやってやっていくと、やればやるほど仕事になるというところまで来たんです。
入社2年半くらいの頃でしょうかね。そしたら親からもうそろそろ戻って来いという話が出て、自分でもできるところまではやった感があったので、それまでの見込み先を後輩に渡して退社しました。
あの時続けていれば、再び賞を取れたと思いますね。


KAO:
やるしかない・・・三田さんの強みかも知れませんね。


三田:
まあ、実はあまり計画性がなくて、とにかくやったら何とかできちゃったということかもしれませんよ(笑)


KAO:
退職後は?


三田:
同じビルメンテナンス業界の会社で一年修行しました。東京美装興業株式会社という業界ではトップクラスの上場会社で、ウチにはない清掃の現場のノウハウを教えてもらいました。私が戻ってから自社にもかなり導入して、ウチの会社も大分変わったと思います。


KAO:
ウチの会社も大分変わった新しい風を入れた感じですね。実際、入社してみてからいかがでしたか。
外から見ているのとは大分違うと思うのですが。


二代目の宿命~古い体質からの脱却。先代との大ゲンカ。


三田:
父の代は 250 名くらい社員がいたんですが、商店がそのまま大きくなったような感じだったんですよ。
バブルが終わる頃ですから、91,2 年頃ですね。
何をやっても大丈夫な時期というか。
なんでも社長が決めていたし、決めてもすぐにコロコロと言う事が変わるようなことが当たり前でしたね。


KAO:
典型的なワンマン社長ですね(笑)どうしても創業者ってカリスマ性がありますよね。
影響力も強いし。お父様に対して乗り越えるものとか、ご自分の中の葛藤とかはいかがだったんですか?


三田:
いやあ、もう大変でしたよ。二代目にはどこでもあると思うんですが、古い体質を変えていくのに親父とケンカしました。
たとえば、有給休暇を与えないとか。
親父は休まないことはいいことだという考えがあるんです。
こいつは休まないから給料上げてやるとかね。
昔の人にとっては当たり前といえば当たり前のことなんですが。
私はこれから会社が伸びていくためには、そういう法的な整備はきちんとしなきゃいけないと考えていました。
父にそれを改めさせるには覚悟がいりましたよ。


KAO:
なるほどね。
お父様のやり方って、一方では昭和の暖かさみたいなものも感じられますよね。
一生懸命やったら必ず報われるとか、何か情みたいなものも感じられますしね。
それで人がついてくる、会社がまわっていくということがあったんでしょうね。
ただし、さすがに二代目となるとそれだけではすまなくなってくる。


三田:
そうそう、どこにもそういう問題はあると思いますよ。


KAO:
三田さんはとても穏やかそうに見えるのですが、お父様とケンカされるときはどんな風になるんですか?


三田:
そんなに見た目には変わらないと思いますよ。声を荒げる程度(笑)
あ、こんなことがありました。
どうしても許せないことがありましてね、私からこれをちゃんとしなかったら縁を切ると父に申し渡したことがあるんです。
家内にも縁が切れたらここを出るからなときっぱり言って。
縁を切るというのは親父を訴える覚悟だと。
当時は余裕がなかったのだと思います。
今、父と話したらたぶん笑い話でしょう。
それくらい切羽詰ってましたね。今はそんなこと考えもしませんが(笑)


KAO:
相当の覚悟を持ってお父様におっしゃったということが伝わります。いわば内部告発の覚悟ですよね。
そこまでやるには、何か危機感があったんでしょうか?


三田:
ちょうど日本が変わってきている時期でしたからね。どうしてもこれをやらないと会社は変わっていかないという気持だったと思います。理由はね・・・それがね、こんな重大なことなのに思い出せないんですよ。
何だったんだろう・・・すぐ忘れちゃうんです。実はものごとをこのくらい気にしないタイプで(笑)


KAO:
あはは、なんだかほっとしますよ。
その気にしなさも三田さんの強みなんじゃないでしょうかね(笑)
それで、そのときのお父様はどんな反応を示されたんですか?


三田:
どこまで本気なのかわかっていなかったと思います。
ただ、その後、ある程度引いたんですよ。
私もそれでいいかなと思った記憶がありますね。


KAO:
実際に社長になられた頃ですね。
お父様が会長で。
ドラマチックな力の交代劇を見るようです。
その後、社長業は順調に行ったのですか?


三田:
四年前に父が脳梗塞で倒れましてね。そのときはまだ父は完全に引いていたわけではなかったんですよ。
ところが父がいなくても大丈夫でね。
普通トップが倒れたら大変じゃないですか。
父が倒れてみて、あ、ひとりでやっていけると確認しました(笑)


KAO:
一本立ちを確認したのですね。
サラリーマン時代と社長業との大きな違いってなんですか?


三田:
それはやはり責任でしょう。
従業員を抱えている。
サラリーマンはやめることができるけど、私はやめるわけにはいかないですからね。
専務にも多くを助けてもらっていますが、最終的な決断やら責任とかは私が取るしかない。


KAO:
覚悟の違いを感じますね。
それでも、営業マン時代と今と変わらずある価値観ってありますか?


三田:
それは「正直であれ」ということだと思います。これは稲盛和夫さんがおっしゃっている言葉で、何か迷ったときとか、困ったときによりどころにしています。(‘「人間として常に正しい事」とは’というプリントを取り出して見せてくれる)


KAO:
あ、一番最初に「正直である」が来ていますね。稲盛さんといえば仏教的な教えですね。


三田:
高校が曹洞宗の仏教の高校でね。そのときに何事にも意味があると教えられました。いいことにも悪いことにも。
それをじっくり考えながら行動しなければならないというのは身にしみこんでいますね。
今でいうポジティブシンキングですね。常に前向きにものごとを考えていますよ。
悪いことがあったとしてもそれをよい方向に考えると道が開けますね。
実は、最近じん帯を断裂してしまいましてね。
私はマラソンをやるんですよ。
ちょうど東京マラソ
の抽選にも当たって、張り切っていたのに出られなくなってしまって。
それは残念でした。
でも、これにも意味があると思い直したらいろいろなことに気づくことができました。
とにかく自分を追い込むタイプですから、特にスポーツとなると追い込んで追い込んで記録を作ろ
うとするんですね。
今回の出来事は自信過剰の自分に気づかせてくれましたね。
年齢的にも体力的にも少し休んで、ゆっくり練習しなさいと神様が言ってくれていたんだと思います。
体を壊すということは、実は自分だけじゃなくて、家族にも社員にも影響を及ぼしてしまうことですから。


KAO:
なるほど。追い込むタイプというのがよくわかりますね。
しかし、それも意味を考えるといろんな見方ができてきますね。
三田さんは社長業の人生というのにどんな意味があると思いますか?


三田:
もう人生勉強でしょうね。がんばればいいことに結びついてくるよと・・試行錯誤しながら。


KAO:
そんな三田さんが今持っている目標は?


インタビュー所感】今回は(株)オーワークス専務取締役折田さんからのご紹介で三協株式会社取締役三田春彦さんを訪ねました。商店街が立ち並ぶ学芸大学の町並みは、なんだか懐かしいような気持にさせてくれます。三田さんは生まれも育ちも学芸大学。そして現在も地元でビルメンテナンスの会社を経営されています。そんな三田さんに社長業への思いと地元学芸大学への思いと両方をお聞きすることができました。改めて人と人とのつながりとは暖かいものなのだと、しみじみ三田さんに教えていただきました。なんとなくほのぼのした気持でインタビューできたように思います。このほのぼの感、みなさまに伝わったでしょうか。
後半では、三田さんの人となりがそのまま伝わる今後の話が展開されています。数字だけでは表しきれない、会
社と三田さん自身の人生の目標。どうぞお楽しみに。


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