kao coaching space > 社長インタビュー > 株式会社第一川崎屋 相談役会長 川﨑政芳さん ~その1~
株式会社第一川崎屋 相談役会長 川﨑政芳さん ~その1~
会社所在地
:本社 東京都新宿区西新宿 1-2-8
:本部 東京都中野区中野 6-3-7
ホームページ
洋服の三並
http://www.24open-minami.com/
東京 AUTO 洗車
http://tokyo-auto-sensha.com/index.html
焼肉レストラン東京飯店
http://tokyo-auto-sensha.com/index.html
桃太郎すし
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大蒲焼うなぎん
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◆プロフィール◆
大正 13 年 10 月 6 日、商家の長男として生まれる。
幼少の頃から家業の手伝いを通じて商売を覚え始め自分で学費を稼ぎながら高校、大学を卒業。
昭和 23 年 ㈱川﨑屋 創業
昭和 41 年 ㈱第一川﨑屋 代表取締役
昭和 58 年 ㈱第一川﨑屋 相談役会長
占いを始めたのは人を大事にしたいからというのが発端でしょうね
KAO:
今日はありがとうございます。いろんな事業を展開されている川崎さんですが、インタビューに先駆けて占いをしていただいたんのですよね。
あまりに本格的で立派なものでびっくりしましたので、まずそこからお聞きしたいと思うのですが。
あまりに本格的で立派なものでびっくりしましたので、まずそこからお聞きしたいと思うのですが。
川崎:
私は人を大事にしたいって思いがあるんですよ。今年 85 歳でね、戦争で散々いろんなことを経験しましたから、本当の意味での人間尊重をしたいと思ってるんですよ。
それは当時 18 歳の頃から変わっていない。
事業はもともと洋服屋でね、一生懸命やりましたね。長年仕事をして結論が出ているのは、やっぱり仕事って言うのは人間がやるんですよ。自分自身の持ち味の生かし方。何が得手で何が不得手なのかということも含めてね。ですから人間が大事なんですよ。
それは当時 18 歳の頃から変わっていない。
事業はもともと洋服屋でね、一生懸命やりましたね。長年仕事をして結論が出ているのは、やっぱり仕事って言うのは人間がやるんですよ。自分自身の持ち味の生かし方。何が得手で何が不得手なのかということも含めてね。ですから人間が大事なんですよ。
KAO:
戦争体験から人間尊重をお考えになった・・
川崎:
そうそう。戦地にも行きましたしね。私はうまく内地に帰ってきましたが、バタバタと日本人が殺されていく、そういうのを見たときに本当に悩みまくってね。人を尊重するってどういうことかとね・・・。
人が好きなんですよ。
ただね、人が好きといっても、やっぱり考え方がそれぞれ違う。
考え方が違うと自然に離れて行きますね。
私は人をだましたりうそをついたりというのはできない。
でも、逆にずいぶん人にはだまされたりすることが多かったですね。
占いも、あんな子どもだましと思われるかもしれないけど、あれも要するに人を大事にしたい、その人がどういう人か知りたいってことから始めました。人を知るにはとてもいいものなんですよ。
だから別にあれで金儲けしようとか、利用しようとか、そういう考えは一切ないんですよ。
人が好きなんですよ。
ただね、人が好きといっても、やっぱり考え方がそれぞれ違う。
考え方が違うと自然に離れて行きますね。
私は人をだましたりうそをついたりというのはできない。
でも、逆にずいぶん人にはだまされたりすることが多かったですね。
占いも、あんな子どもだましと思われるかもしれないけど、あれも要するに人を大事にしたい、その人がどういう人か知りたいってことから始めました。人を知るにはとてもいいものなんですよ。
だから別にあれで金儲けしようとか、利用しようとか、そういう考えは一切ないんですよ。
KAO:
びっくりしたんですよ。
かなり細かく書いてあったので。
かなり細かく書いてあったので。
川崎:
でしょ。
あんな風にできているのは日本全国探してもありませんよ。
私のオリジナルだから。
自画自賛になっちゃいますが。
あんな風にできているのは日本全国探してもありませんよ。
私のオリジナルだから。
自画自賛になっちゃいますが。
KAO:
オリジナルなんですか。
川崎:
同じようなところはいっぱいありますよ。
でも、その人の一生を全部まとめて書いてあるでしょ。
そういうのって他には見当たりませんね。
でも、その人の一生を全部まとめて書いてあるでしょ。
そういうのって他には見当たりませんね。
川崎さんに書いていただいた鑑定書
KAO:
グラフがありましたね。一生の。もらってみて、どう使ったらいいのかと思ったんですよ。
川崎:
素直にあれを見て、自分はこうだから参考にしようって思う人は全部成功していますよ。
ほとんどの人はそんな風にはとりませんがね(笑)
ほとんどの人はそんな風にはとりませんがね(笑)
KAO:
その人の「人となり」をどう生かしていくかの材料なんですね。
川崎:

えてきましたね。
占いをした後の人生を追っていくと不思議と全体のその人の生涯の生き方とか当たっててね。細かい
内情的なことはともかくとしてね。
2700 人くらい鑑定して、ほとんど合ってる。
友達と話をしていて何かあったとか、だれそれが亡くなったとか聞いたときに、あれっと思って鑑定書を引っ張りだして見るんですよ。
そうすると、ピタッと当たっている。
私自身不思議に思っているところです。
KAO:
のちのち実証されているんですね・・。
すごいですね・・。
どんなきっかけで始められたのでしょうか。
すごいですね・・。
どんなきっかけで始められたのでしょうか。
川崎:
長男の嫁がこういうことが好きでね。それで、「お父さん、こういう本があるから見てみる?」って
言ったんです。それが昭和 54 年。私が 54 歳のときですよ。ずいぶん遅いですが、それでも始めてか
らもう 30 年くらい経ちましたね。
それまでも割りにそういうものには興味を持っていた。血液型とか、人相、手相。全部興味を持ってやりましたね。
言ったんです。それが昭和 54 年。私が 54 歳のときですよ。ずいぶん遅いですが、それでも始めてか
らもう 30 年くらい経ちましたね。
それまでも割りにそういうものには興味を持っていた。血液型とか、人相、手相。全部興味を持ってやりましたね。
KAO:
30 年やってみて極められた感っておありですか?
川崎:
いや、極めたなんては思ってないですよ。
ただ、今はケースバイケースでこういうときはこうだなとわかりますね。
最初は書いててもえ?と思うことが多くてね。
一番最初は自分をやってみた。
そしたらびっくりした。
あまりにも当たっていて。
それから自分の子ども、周りと広げていってね。
はっと気づいたら 2700 人やっているんだものね。
たいしたものだと自分で思いますよ(笑)
ただ、今はケースバイケースでこういうときはこうだなとわかりますね。
最初は書いててもえ?と思うことが多くてね。
一番最初は自分をやってみた。
そしたらびっくりした。
あまりにも当たっていて。
それから自分の子ども、周りと広げていってね。
はっと気づいたら 2700 人やっているんだものね。
たいしたものだと自分で思いますよ(笑)
KAO:
あの鑑定書を 2700 枚お書きになったということですものね。
川崎:
ああ、よく書いたね・・。
一人につき2枚、人によっては3枚ありますからね。(注:B4 用紙、手書き)ということは、6000 枚以上書いていることになるかな。
最初はね、書いて渡しても冗談じゃねえやという反応も多かったの。
最近はみなさんのためになってるんじゃないかと思うのね、折に触れ、今ここだから気をつけろよとか言うわけだから。特にうちに会社の中ではね。
一人につき2枚、人によっては3枚ありますからね。(注:B4 用紙、手書き)ということは、6000 枚以上書いていることになるかな。
最初はね、書いて渡しても冗談じゃねえやという反応も多かったの。
最近はみなさんのためになってるんじゃないかと思うのね、折に触れ、今ここだから気をつけろよとか言うわけだから。特にうちに会社の中ではね。
KAO:
まさにプロはだしですね。
川崎:
専門的に探求するのが好きなんですよ。本もそういうのをたくさん読む。
たとえば釣り、カメラ、だとか。
カメラもずいぶんやりましたよ。
今はやめちゃったけど。
だから、川添さん(私=KAO のこと)もこれからですよ。
さっきも言ったけれど、私が占いを始めたのは 54 歳のときだからね。
たとえば釣り、カメラ、だとか。
カメラもずいぶんやりましたよ。
今はやめちゃったけど。
だから、川添さん(私=KAO のこと)もこれからですよ。
さっきも言ったけれど、私が占いを始めたのは 54 歳のときだからね。
KAO:
ありがとうございます。励まされますね。
戦前はね今とは違う制限がたくさんあったね・・商売は11歳から
KAO:
さて、川崎さんが一番脂が乗ってお仕事をされていた頃のお話も聞きたいのですが。
川崎:
私が一番脂が乗って仕事をしたというのは昭和 30 年前後ですね。30 歳くらいのとき。
これは世の中の環境もあったろうと思う。
今考えてみてもめちゃくちゃやってたなあ。
ほとんど夜も寝たときがない。
これは世の中の環境もあったろうと思う。
今考えてみてもめちゃくちゃやってたなあ。
ほとんど夜も寝たときがない。
KAO:
そのころはどんなご商売をされていたのですか?
川崎:
新宿西口で洋服屋をやってましたね。
もともとはね、うちの親父は家具屋でした。新宿の店は小さいから、そこで家具屋はできないから洋服屋を始めたわけですよ。
それがうまくいってずいぶん儲かった。
一時、昭和 26 年頃から 30 年頃にかけてはは百貨店よりうちのほうが売れてたくらい。
それくらい売ったんですよ、私。
店もそのうち 4 件に増えてね。
面白かったけれど、困った~というのもたくさんある。
そのころ新宿の店がいつ取り払いになるかわからない時期でね。
新宿の土地も実際に自分で商売をやっていたんだけど、きちんとした契約ができなくてね。正式に自
分の土地とすることができなかったの。戦後の混乱期だから役所もいい加減なところがあったからね。
もともとはね、うちの親父は家具屋でした。新宿の店は小さいから、そこで家具屋はできないから洋服屋を始めたわけですよ。
それがうまくいってずいぶん儲かった。
一時、昭和 26 年頃から 30 年頃にかけてはは百貨店よりうちのほうが売れてたくらい。
それくらい売ったんですよ、私。
店もそのうち 4 件に増えてね。
面白かったけれど、困った~というのもたくさんある。
そのころ新宿の店がいつ取り払いになるかわからない時期でね。
新宿の土地も実際に自分で商売をやっていたんだけど、きちんとした契約ができなくてね。正式に自
分の土地とすることができなかったの。戦後の混乱期だから役所もいい加減なところがあったからね。
KAO:
ヒヤヒヤなところで商売をなさった・・
川崎:
それだけではなくて、親父のこともあってね。これはいいとか悪いとかという話ではなくてね、私の父親という人がものすごい浪費家だったんですよ。
昔の人だから会社のものとか自分のものとか区別がつかなくてね。
店の売上げとかもかっぱらっていっちゃう。
どうしようもない。
その頃は死ぬ思い
だったですね。
支払ができなくなって。
当時私は「川崎屋」という商号で商売してましてね。
弟は「第一川崎屋」という名前にして、別々の方針で商売やってね。
弟のほうはね、あまり商売がうまくなくて、結局どうしようもなくなったんですよ。
ところがその浪費家の親父と弟は気が合うものだから組みましてね。
で、私がやっていた「川崎屋」と「第一川崎屋」を交換しろと言われて、社長を交代したという事情があるんですよ。
昭和 40年頃ですね。だからうちの商号は今も「第一川崎屋」なんです。
昔の人だから会社のものとか自分のものとか区別がつかなくてね。
店の売上げとかもかっぱらっていっちゃう。
どうしようもない。
その頃は死ぬ思い
だったですね。
支払ができなくなって。
当時私は「川崎屋」という商号で商売してましてね。
弟は「第一川崎屋」という名前にして、別々の方針で商売やってね。
弟のほうはね、あまり商売がうまくなくて、結局どうしようもなくなったんですよ。
ところがその浪費家の親父と弟は気が合うものだから組みましてね。
で、私がやっていた「川崎屋」と「第一川崎屋」を交換しろと言われて、社長を交代したという事情があるんですよ。
昭和 40年頃ですね。だからうちの商号は今も「第一川崎屋」なんです。
KAO:
え?交換ですか。うまくいっていたほうの会社を交換されたんですね。はぁ~、どうなんでしょうか。
川崎さんはどんなお気持ちでそれを承諾されたのですか?
川崎さんはどんなお気持ちでそれを承諾されたのですか?
川崎:
まあ、それは商売ってのは普通にやればできると思っていましたからね。
交換してもうまくやれるとは思った。
その当時一人で 20 億くらいの商売をしてましたからね。
交換してからは、そりゃあ苦労しましたよ。
建て直しですから。
で、その新宿の4坪半の店だけになったんですよ。
それで親父とは別れてね。
交換してもうまくやれるとは思った。
その当時一人で 20 億くらいの商売をしてましたからね。
交換してからは、そりゃあ苦労しましたよ。
建て直しですから。
で、その新宿の4坪半の店だけになったんですよ。
それで親父とは別れてね。
KAO:
はぁ~、すごい話ですね・・・。
ところで川崎さんはおいくつ頃から仕事、商売を始められたのですか?
ところで川崎さんはおいくつ頃から仕事、商売を始められたのですか?
川崎:
仕事っては言えないかもしれないけど、11 歳の頃からそういうことはやってましたね。
商売のセンスはあったんでしょうね。
昭和16年に 1200 円で買った家が中野にあってね。
親父の名義になってたんだけど、それは本当は私が買ったんですよ。
当時 15、6 歳ですよ。それくらい儲けた。
でもね未成年だから登記できなくてね。
親父のことを言えば、若い人にこういう話をしてもわからないかもしれないけど、戦争は昭和 16 年に始まったでしょ。
で、終戦が 20 年。でもね、私に言わせると、昭和という時代は初めからずっと戦争なんですよ。
時代が今と全然違うの。
統制がね。
おまわりさんがこんなでかいサーベル差してがしゃんがしゃんとやりながら歩いていた時代。
商人も例外ではなくて何かやろうとすると必ず泣かされたわけ。
だからね、うちの親父なんかもそういう時代に泣かされたんだと思うんですよ。
あれもだめこれもだめってね。
一生懸命国のためにやろうとするんだけど、軍人がどうの、天皇陛下がどうのって始まる時代でね。
非国民扱いされるってことも多かった。
親父があんな風になっちゃったのもそういう背景があったからだと思うんだよね。
商売のセンスはあったんでしょうね。
昭和16年に 1200 円で買った家が中野にあってね。
親父の名義になってたんだけど、それは本当は私が買ったんですよ。
当時 15、6 歳ですよ。それくらい儲けた。
でもね未成年だから登記できなくてね。
親父のことを言えば、若い人にこういう話をしてもわからないかもしれないけど、戦争は昭和 16 年に始まったでしょ。
で、終戦が 20 年。でもね、私に言わせると、昭和という時代は初めからずっと戦争なんですよ。
時代が今と全然違うの。
統制がね。
おまわりさんがこんなでかいサーベル差してがしゃんがしゃんとやりながら歩いていた時代。
商人も例外ではなくて何かやろうとすると必ず泣かされたわけ。
だからね、うちの親父なんかもそういう時代に泣かされたんだと思うんですよ。
あれもだめこれもだめってね。
一生懸命国のためにやろうとするんだけど、軍人がどうの、天皇陛下がどうのって始まる時代でね。
非国民扱いされるってことも多かった。
親父があんな風になっちゃったのもそういう背景があったからだと思うんだよね。
KAO:
大変な時代だったのですね・・・。
お父さんは言ってみれば放蕩息子の逆パターンですね。
お父さんは言ってみれば放蕩息子の逆パターンですね。
川崎:
そうそうそう。でも、それでも全然平気だった。
KAO:
へぇー、何ですかね。それって。
川崎:
もって生まれたうぬぼれ。自分だけだったら何とかなるって思ってる(笑)
KAO:
自分の力を信じているってことですか。
川崎:
いや、気は小さいからあんまり自分のことは信じていない。だけど、世の中必ず何かあるって。
洋服屋から洗車を始めたのもそういう理由ですよ。
洋服屋から洗車を始めたのもそういう理由ですよ。
KAO:
ああ、信じていらっしゃるのは世の中・・

【KAO コーチのコーチングワンポイント「大きな主題、小さな主題」】
「○○さんとうまくやるにはどうしたらいいんだろう」
「売上げが目標までいかない・・」
「これがあったらうまくいくのになあ・・」
人生は課題解決の積み重ねですね。
コーチングでクライアントさんが持ってくるテーマはこういった日々の出来事が中心です。
クライアントさんは課題解決したくてコーチングを受けるわけですが、実は課題解決だけのコーチングになるとますます糸がこんがらがってしまうことがあります。抵抗が抵抗を呼ぶというのでしょうか。
コーアクティブコーチングでは、日々の課題を「小さな主題」と呼びます。
「小さな」とはいいますが、これは「大きな主題」に対しての呼び名であり、決して軽んじているわけではないことをお伝えしたいと思います。
もちろんコーチングでは「小さな主題」も大事に取り扱っていきます。
では、「大きな主題」とは・・。
この課題が浮上しているクライアントさんの人生に焦点を当てていくのです。
課題の裏に隠れている、クライアントさんが人生で本当に望んでいるものは何か、一体どういう人生を送りたいと願っているのかをコーチは純粋な好奇心を持って聴いていきます。
そのように聴いていくとクライアントさん本来の気持ちや価値観に触れることができてきます。
そんなときは本当にダイヤモンドが研磨されるようにキラキラとクライアントさんが輝きだしてくるようです。
そこから「小さな主題」に焦点を切り替えるとスムーズに課題解決が起こることが多いのです。
私たちは目の前の課題の大きさ、深刻さにとらわれがちになることも多いですが、それに対面している自分の人生の大きさに目を向けてみると、もっと違う何かが見えてくるのかもしれませんね。
「○○さんとうまくやるにはどうしたらいいんだろう」
「売上げが目標までいかない・・」
「これがあったらうまくいくのになあ・・」
人生は課題解決の積み重ねですね。
コーチングでクライアントさんが持ってくるテーマはこういった日々の出来事が中心です。
クライアントさんは課題解決したくてコーチングを受けるわけですが、実は課題解決だけのコーチングになるとますます糸がこんがらがってしまうことがあります。抵抗が抵抗を呼ぶというのでしょうか。
コーアクティブコーチングでは、日々の課題を「小さな主題」と呼びます。
「小さな」とはいいますが、これは「大きな主題」に対しての呼び名であり、決して軽んじているわけではないことをお伝えしたいと思います。
もちろんコーチングでは「小さな主題」も大事に取り扱っていきます。
では、「大きな主題」とは・・。
この課題が浮上しているクライアントさんの人生に焦点を当てていくのです。
課題の裏に隠れている、クライアントさんが人生で本当に望んでいるものは何か、一体どういう人生を送りたいと願っているのかをコーチは純粋な好奇心を持って聴いていきます。
そのように聴いていくとクライアントさん本来の気持ちや価値観に触れることができてきます。
そんなときは本当にダイヤモンドが研磨されるようにキラキラとクライアントさんが輝きだしてくるようです。
そこから「小さな主題」に焦点を切り替えるとスムーズに課題解決が起こることが多いのです。
私たちは目の前の課題の大きさ、深刻さにとらわれがちになることも多いですが、それに対面している自分の人生の大きさに目を向けてみると、もっと違う何かが見えてくるのかもしれませんね。