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株式会社ベルク 代表取締役 立花佳志美さん ~その1 人生の転機編 ~
株式会社ベルク 代表取締役 立花佳志美(たちばなよしみ)
会社所在地:東京都世田谷区奥沢 6-33-7 内海ビル 202
◆プロフィール◆
23 歳・・・結婚 10 年間で男子3児に恵まれる
33 歳・・・設計事務所でアルバイト
36 歳・・・システムキッチン販売店で、キッチンリフォームに携わる。
38 歳・・・木造住宅の建築会社に勤務 本格的な仕事人生が始まる。
その後 フリーを経て そごう横浜店 今は倒産して無い会社の子会社の社長を経て
15年前念願のリフォーム工事会社(株)ベルクを設立現在に至る。
「クレームはゼロ」というお話を講演会で伺ったのがきっかけで、今回は株式会社ベルクの立花社長にインタ
ビューさせていただきました。クレームがゼロの理由をお聞きしたときにもこれぞ宇宙の法則!と興奮したの
ですが、今回のインタビューで、立花さんご自身の生き方が素直にそのときそのときに起こる出来事を受け止めた結果の人生、流れに逆らわずに生きてこられた結果のことなのだなあと思わせていただきました。
女性としてはとても興味深く聞かせていただくことができ、いつもハツラツとされている立花さんのヒミツ、秘訣を垣間見ることができました。女性の輝き方がよくわかります!
どうぞ最後までお楽しみくださいね。(コーチKAO)
学生時代は人に興味がなくて。他人と付き合うということがどういうことか分からなかったんです。
人とお付き合いしなくてもどうということなくてね。ところが、結婚して子どもが生まれると、ご近所のお付き合いが主体ですから。
そこで初めて人に目が行くようになって、ああ人ってこうなんだ、女の人ってこういう考え方をするんだってようやく気がついてね。そこで初めて人と向き合うという経験をしました。そこから私の人生が始まったようなもので(笑)。
奥さんたちとお付き合いするのは私にとっては本当に大変なことでした。なんで人ってこうなんだろうってものすごく悩みながら学びまたね。おかげで同窓会で学生時代の友人に会うとみんながびっくりするくらい。そのくらい変身しました。
専業主婦時代の 10 年は貴重でしたよ。ご近所との濃密なお付き合いのおかげて子どもを3人育てていくにはとてもありがたいことでしたね。うちの子もよその子もなく津波のようにだーっと子どもたちが遊びに来たりでね。
働き始めてからもご近所にはずいぶん助けていただきました。
それとね、子どもが学校から帰って来て私に「ママ、こういう風にほめられたよって」報告するんですね。
そのときふと思ったんです。あれ、私の採点って誰がするんだろう?。自分がどのくらいの力を持っているのかわからない、私という人が私が分からないわけですよ。その分からない私に家族が「ママ、ママ」って言って頼ってくるんですからね、その自分が怖かったんですよ。こりゃ、まずいって思いました。
価されることもなく、もしかしたら私は何も出来ない人かも知れない。自分のことを知らずにただ、子どもと向き合ってるだけ、近所の奥さんと付き合っているだけ・・。
子どもたちが大きくなるにつれ、子どもたちと一緒に行きたい、成長したいという思いが強くなって行ったんですよ。子どもと親の目線ではなくて、同じ目線で一緒に生きて行きたいというただただ贅沢な想いですね。私も家で待っているだけでなく、外でイキイキしている夫や子どもたちと一緒に行きたいと。で、それはもう、私にできることは建築しかないので、働き出したんです。
だから私はありがたかったなあと思います。今の落ち着いた子どもを持って働いているというポジションはなかったような気がします。それにね、私のようにちゃんと子どもを育てて就職というのは誰にもないので、その辺はほんとにフラットにいけたんですね。実力だけじゃなくてね、主婦経験が生きてるんですよ。
ですから 23、4 の人と10年も上でも私は何も不自由を感じないで来れたんですね。それに(結婚、出産で)やめなくてもすみますからね。ほらみなさん、これからですからね。(笑)
これ昔からだよ、「いつもこんな調子。小学校の頃からママ、こんな言い方してたよ」って。
長男に言ったことがあるんですね。「こんなに仕事しながら、あなたたちをほったらかしにして、あなたたちが全うに、いわゆる手に負えない、端的に言えば悪いほうへ行かなかったね」と。
そしたら長男が、「そんなの当たり前じゃないか、僕が悪いほうへ行ったら、悪くなった僕を応援するでしょ。そんなことされたらたまったものじゃない。引き止めてくれないでしょ」というんです。
子どもたちが折りに触れて言ってくれたことばは私の本当の宝物ですねえ。あ、そういう風に思ってくれたんだって。建築なんかやっているといつも忙しくて子どもには大変な思いをさせたと思うんですね。
だから私は、何やってもいいよ、結果はママが受け止めるから。責任はママが取るからと。いつもそれは言っていましたね。
もがいてもいなくてもそれは自由。私の人生で子どもがいたことは一番大きい。
子どもの成長過程で、なんていうんでしょうね、いとしい気持、優しい気持ち、そういうものを惜しげなく与えてあげられる対象があるのって自分にとっての宝なんですね。優しくなれる。人を優しく見れるということをよくわからせてもらった。
そういう経験なしに社会に出ていたら、とても冷たいもっと割り切ったものの見方しかできなかったでしょうね。そういう風に思えてしょうがないんですよ。子どもを育てることで幅広く人を見れるようになりましたね。
先ほどの話ではないですが、何があってもいい、いつもママはあなたたちの味方だと示してきました。だから、子どもたちは40 過ぎになってもそう思っていますね。
チャレンジもできないのではないかと思いますね。まずお母さんがそうやってあなたの味方だよ、ここにいるよという感覚を与えていると子どもはチャレンジできるようになるんですよね。世界は味方してくれると感じられるようになる。
われたこともなかったんですね。
私ね、一生懸命生きようと思ったんです。そのきっかけは妹が 27 で亡くなったことなんです。こんなつらいことはなかったですね。分かってから半年でなくなったんですが、許せなかったんですね。許すも許さないもないのですが、気持の中で整理がつかなかった。27 という年で死んだ妹が哀れで。すごいつらかったですね。妹は結婚して4年目くらいで病気が分かってから半年くらいであっという間のことでした。
非常にモノを大事に扱う子でね。それがお葬式で妹の家に行ったときに、妹があんなに大事にしているモノを知らない人たちが勝手に使ってやっているのを見て・・・当たり前なんですよ。でも、それを見てショックを受けてしまった。その残酷さ。あんなに妹が大事にしてたのに。当たり前なんですよね。モノって命がないだからしょうがないんだよね。そこからモノへの未練がすっぱりと私の中から消えたんですね。いつか死んじゃう、だったら、もう、自由に生きる。これはもう大きな転機でしたね。そこに行きついたのは、一年くらい何も考えられない状態が続いた後でした。
実はここに書ききれないほどの専業主婦時代のエピソードをお持ちの立花さん。
なんとお子さんの入学式のスーツまでご自分で作ってしまったそうです。
そんなプロフェッショナルな主婦から一路キャリアウーマンへの転身はいかにされてきたのでしょうか。
次回はいよいよ仕事を始めて、ご自分の会社を立ち上げる経緯が明らかになります。どうぞお楽しみに。

■五感とコーチング■
コーチングを受けると、よく聞かれるのが「それってどんな感じなの?」「今、どんな感じ?」
コーチングを受け始めた当初、これがとても苦手でなんでこんなことを聞くのかなあ、とずいぶん思いました。実は五感は感情の入り口。体の感覚をひも解いていくと、意外な感情を持っている自分に出会ったりします。
たとえば、コーチングセッションの最中、自分では意識していない声のトーンの変化、手や足のちょっと動き、顔の表情をコーチにフィードバックされて、改めて気づいて意識を向けてみると、そのとき自分の中に恐れや不安などが広がり始めているのを発見したり、逆にその中に期待感があったりするのを見つけたりします。これは、コーチがコーチ自身の五感を全開にしてクライアントと接するから起こることです。
感情は人間の行動を支配します。才能があっても、感情が邪魔をして行動が起こせなかったりします。
コーチングは五感から入り、感情を味わい、緩め、行動を起こすサポートをします。
自分の無意識を意識にあげ、自覚的に生きることで、課題解決のヒントが見えてきます。
五感を使うことは自分にも人にもギフトになることだと思います。ぜひ、今の季節、自然を十分に感じて「感じる」トレーニングをしてください。