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ニッポンメンテナンスシステム株式会社 代表取締役 伊藤光治さん ~その1~

伊藤光治さん会社所在地:東京都中央区新富 1-7-7 新富センタービル5F
TEL :03-3553-0061
ホームページ:http://www.nms-ibr.co.jp/index.html
◆プロフィール◆
昭和 27 年 7 月 8 日 千葉県船橋市に農家の次男として生まれる
昭和 47 年 3 月 小山自動車整備専門学校卒業
昭和 47 年 4 月 日産サニー千葉北販売㈱サービス部入社
昭和 50 年 4 月 ㈱ニッポンレンタカー東都入社
リ-ス事業部課長拝命
昭和 60 年 7 月 ニッポンメンテナンスシステム㈱創業
代表取締役に就任 現在に至る。
・資格等 ガソリン自動車 2 級整備士・危険物乙 4 類資格等
・著書 「僕と俺と私」写真エッセイ集 ・趣味 写真・車・バイク ・クレド 「成せばなる」

ニッポンメンテナンス 25 年の足跡
~バブル崩壊、人・経営革新との出会い、そして持ち前の底力~


KAO:
先日の写真展ではありがとうございました。
素敵な写真でしたね。
今日は会社のこととお写真のことと 2 本立てでお聞きしたいと思ってきました。
よろしくお願いします。
まずは会社のことからお聞きしたいと思っています。
ホームページの沿革を見せていただいたところ、まず4名の社員さんから始められたということですね。
苦労話などご紹介ください。


伊藤:
ああ苦労話。苦労の連続ともいえるし、そうとも言い切れないところもたくさんありますよ。
創業は1985 年で、5 年間は非常によかったんです。
会社経営ってこんなに簡単なものなのかって・・・(笑)
創業は築地のマンションの一室で始めたのですが、東京と千葉、さらに神奈川、埼玉、仙台・・と一気に事業所を増やしていったんです。
人員も一営業所に3名くらい。
なんだかんだと 20 人くらい増やしてピーク時 32、3 名くらいまで行ったんですかね。
創業6年目くらいの時のことです。


KAO:
順調でしたね。


伊藤:
ところがね、ところがどうもおかしいぞ、と。車の売れ行きがおかしい。ちょうど世間でバブルの崩壊というのがうわさされ始めたころです。これバブルの影響かなと。急に人を入れて事業所を作ったものだから固定費は増え、そのころから赤字になっていったんですよ。
赤字だけだったら何とかまだ対応できるんですが、銀行の貸し渋り、貸しはがしがありましたからね。
当社の場合、お金が先に出て行くビジネスモデルなんですよ。リース会社ではメンテナンスを修理工場に依頼しますから修理代の支払いは先にしなければなりません。
回収は後の月々回収になるんですね。
お金だけがどんどん出て行く。
さらに銀行の貸し渋り、貸しはがし。
資金が続かなくなったんですね。
そのとき初めて川面が近くなったのを覚えてますね。


KAO:
川面が近くなった?


伊藤:
うん。飛び込んだら楽かなって(笑)7 年から 8 年くらいの時かな。そのときはなんと翌月に年末か
ら年始にかけて、1 億近く足りなかった。で、普通だったらこれ潰れてるな、と。それがなんだかん
だとやりくりをしてほとんど賄えたんですが・・
それに、恒常的な赤字が毎月ありまして。当時経理の取締役が「社長、ちょっと相談があります」と
来るんですが、その相談という言葉を聞くと「ああ、またか」と思うわけです。


KAO:
お金の相談ですね。


伊藤:
ん、ほかに相談はないですから(笑)「今月ちょっと 2、3 千万ショートします」と。
それが、大嘘でなくて、連続 9 年ぐらい毎月続いたんです。


KAO:
9 年?9 年!わ~


伊藤:
9 年ですよ。毎月です。いわゆる資金ショートで、毎月恒常的。膨れ上がるわけではなくて、額は大体同じなんですね。
会社としてはいつも 3、4000 万が足りない状態で回転させていたことになりますよね。
そのときに僕は個人的には4回死んでるなと思ってるんです。


KAO:
ああ・・川面が近くなったというのは冗談ではないのですね。


伊藤:
そう、川面ですよ・・・。仕事もやる気もなくなって、社員には言えないですけど、日比谷公園の東屋みたいな休憩所でね、僕ね遺書を書いたんですよ。


KAO:
遺書・・・


伊藤:
でね、僕ねそれで初めてわかったんですよ。遺書を書くと気がすっきりするんです。
死ぬわけじゃないんです。書くことで、そこにぼーんと気持ちを出せる。それで気が楽になる、そんなことを経験しましたね。で、それからですね、方向が変わってきたのは。


KAO:
といいますと?


伊藤:
そのころ、知り合いのある会社の役員からゴルフのお誘いがありましてね。でも、お金も暇もないしね。
あまり気乗りはしなかったのですが、それでも誘われたんだから行かなきゃいかんだろうと思って茨城のほうへ行ったんです。
その当時、ちょうどねー僕はレンタカービジネスというのをプランニングしてましてね。
で、そのときに昼食の時に何か面白いアイデアないかなーという話になって、「こういうレンタカーの
ビジネス考えているんですけど」といったら、その役員の方がですね、「伊藤さん、それ面白い、うち乗るわ。
どのくらい金かかんの?」ということで。
意外な展開になったんですよ。


伊藤:
その方のおかげでリースの枠が取れることになりまして、実現できることになったんです。
ところが中古車を整えるためには現金が必要でそれがないわけです。リースですから先に立て替えな
ければならないんですよ。そのときに経営革新に出会ったんです。


KAO:
東京都の中小企業支援策ですね。
(経営革新についてはこちらをご覧ください)
http://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/shoko/keiei/kakushin/1gaiyo.htm


伊藤:
そう。夢遊病者のように都庁のほうへ情報集めに出かけて、経営革新というのがあると知ったんですよ。
これだと思いましたね。
ところが、レンタカーで申請しようとしたところ、うちの経理の役員にもうレンタカーはあると反対されましてね。
それでも、やってみなきゃわからんだろうということで、レンタカービジネスにアレンジして申請しました。
それでね、通ったんです。


伊藤:
4000 万の無担保で資金調達ができて。そのころ安定化資金として 5000 万が無条件で借りられる制度
もあったので、それで約 9000 万の資金が集まりました。そのうちの恒常的に不足している資金も安
定化資金で賄って、残りをレンタカー投資にもっていったんですね。


KAO:
ほっとされたでしょうね。


伊藤:
ええ。もともと、うちの会社は 10 月から 3 月の 6 ヶ月間は仕事が少なくてとんでもない苦境なんですよ。
ここを何とか穴埋めしたいというのがもともとの発想で、そのプランをその時期に忙しい建設会社にぶつけたんですよ。
それがものの見事に当たりまして。完全に穴埋めできたんですね。
そのシステムができたときにはですね・・、経理の役員は辞めてましたね。
それからリース事業にレンタカーの事業を加えるのに約 1 年半くらいあったんですが、そのころに課長が3人くらい辞めてる
んですよ。
まあ、バブルの崩壊の時は希望退職を募って、何人かやめてもらってそこでいったん落ち着かせたと
いう経緯がありますが、さらにそういう苦境になって課長が 3 名、経理の取締役が辞めたんですね。
やはり、つらかったですね。


KAO:
そのときの伊藤さんの心中には想像しがたいものがありますね。どうやって乗り越えられたのでしょうか?


伊藤:
そのときですね、自分の中のパワーってものに気づいたんですよ。気の強いところが出たというのでしょうか。
自分というものの力はこんなもんじゃねえんだ、俺ってもっと力がある、というような。


KAO:
どんなところから気づかれたんですか


伊藤:
前職(ニッポンレンタカー)の会社での経験ですね。
(今とは)規模、レベルは違うにしてもリース部門では全国 No.1 にしましたしね、営業的にはそれなりの実績を上げたという経験があるんです。
ですから、たとえ売り上げがこのくらいのレベルでつぶれるようなオレじゃない。
こういう気持ちが出てきましてね、それが乗り越える底力となったように思います。


KAO:
それが具体的な形になっていくわけですね。


伊藤:
なんとしてもPB(プライベートブランド)を作るという気持ちでしたね。ほとんどの人が反対でね、
でもそのとき、誰もが手を出さないビジネスだということはチャンスがあるんだと思ったんです。
で、目をつぶって入ったんです。中古車業界に。
底力がそこで出たんでしょうね。
それが化けたんです。


KAO:
誰もやっていない業界、だったんですね・・・


伊藤:
今は、テレビオークション最大手のオークネットさんとかと一緒に事業をやって、年間実増 7000 台くらいのペースのビジネスに発展してきました。


伊藤:
振り返ると、最初の 10 年は自動車リースのメンテナンスという単一商品。
次の 10 年がレンタカーとか中古車関係、それに連動するいくつかの商品を作ってきた年月。そろそろ第三操業に入ってきたというところでしょうか。


伊藤:
それにね、リーマンショックの影響を今のところほとんど受けていないんですよ。


KAO:
ほー、珍しいですね。


伊藤:
なんでかな、と思ったのですが、当社の場合取引先が分散されてるんですね。仕入先と売り掛け先があわせて約 10000 あるんですね。
それぞれの売り上げの比率が大お得意さんといっても全体の 10%あるかないか。
だからひとつの会社が多少ショックを受けても他の会社が大丈夫であればそんなに誤差が出ないですよ。


KAO:
リスクが分散されているから安定しているのですね。
反骨精神というのもあおりのようですけど。


伊藤:
あの、僕ね(精神的に)落ちやすいんですよ。ものすごく落ちやすくてすごく弱いんですよ。だけど、自分でも不思議なところは、あるところまで来ると、ぐわーと力が出るんですわ。落ちるところまで落ちるけれど、どうしてもそれ以上落ちられない一線があるという感じなんですよ。


KAO:
そのときに信じられないパワーが出る感じですね。伊藤さんの強みですね。


伊藤:
たぶん自分の中の何かがそうさせてるんだね。目標意識かな、何だろう。そんなのがあるんですね。


KAO:
自分を信じる力でしょうか。


伊藤:
そうだね、自分の力を能力を信じるしかないから。


会社設立のエネルギーは新しいことへのチャレンジ夢への「ワクワク」感


KAO:
創業されてから 25 年くらいですよね。
伊藤さん、今おいくつですか。


伊藤:
57 歳です。


KAO:
そうすると 32 歳で創業されたんですね。


伊藤:
前職は大手レンタカー会社のリース部門の責任者で、普通に 10 年くらいサラリーマンやってました。


KAO:
そこでしっかりレンタカーのノウハウを学んで。


伊藤:
ええ。恩人ですね。27、8 歳くらでしたかね。そこで特別な営業研修チームに入りまして、約一年、
叩き込まれました。
そのときの経験というのが非常に役に立っていますね。われわれは特殊部隊と呼んでいたのですが。
メンバーの中で、僕を入れて独立したのが二人、あと二人は今ニッポンレンタカーのグループ会社の地域社長をやっていますから、それだけ効果はあったのだろうと思いますね。


KAO:
会社を作られたきっかけは?


伊藤:
30 歳か 31 歳ごろにこのビジネスモデルを思いつきましてね。協力してくれるリース会社や損害保険会社と背景作りをした上で「こういう構想があるんですが・・」と会社に持っていったんですよ。そうしましたら、会社のほうからは「君、リースを売る気はないのか」といわれまして、切れたんです。
その構想で全国制覇が出来ると思ったんです。会社のためになることだと信じていたんですよ。ところがそんな風に言われまして、それで会社とぶつかりました。ぶつかって切れて、それだったら自分で会社を作ってしまおうと・・


KAO:
それだけ自信があった構想だったんですね。おやめになるときに葛藤はなかったんですか。


伊藤:
葛藤というより、そのとき「夢」のほうが大きかったですね。


KAO:
ほう~、夢・・・


伊藤:
ビジネスモデルというか、自分のアイデアに惚れちゃうんですよ。このアイデアは絶対いけるんだと。
ということで、ものすごい希望が出てくるんですね。そうすると、ちょっとした壁みたいなものってたいしたことないんですよ。
そういう面では非常に楽しい期間だったんですよ。
実際に会社を作ってからのほうが大変でした(笑)。


KAO:
会社とぶつかりながらも夢のほうが大きいということで困難が小さくなる・・


伊藤:
いろいろありまして、社員を引き抜いたりしたものですから、会社とは衝突したままやめることになり、負けてなるものかという負けん気もありましたね。


KAO:
持ち前の負けん気、底力ですね。負けてたまるかというときの伊藤さんのお顔がすごくイキイキとされますね(笑)


伊藤:
私どもの一号車の納品は、一部上場会社で日本の三本指に入る大手のガラスメーカーさんなのですが、事情をよくわかってくださいましてね、じゃあご祝儀で一台契約するよと言われたときは嬉しくてね。
そういう会社さんが何社かありまして、契約をいただいたのは本当にありがたくて嬉しかったですね。


インタビュー所感】伊藤さんは昨年「僕と俺と私」という写真集を自費出版されました。きっかけは中小企業家同友会のメーリングリストで写真と散文の本を作りたいと表明されたことだったそうです。そこからは、さすが企業家の集まり同友会ならではのフットワーク。デザイン会社、印刷会社の社長さんが手を上げてくださり、とんとんと出版に至ったそうです。その経緯を聞く会で、伊藤さんのみずみずしい写真と少年の心を忘れない散文に惹かれ、今回のインタビューとなりました。また伊藤さんは同友会で「経営革新計画で会社を変えよう」~経営のブラッシュアップ 経営改善・計画と資金調達~という講演もなさっています。その辺の裏話などもお伺いしました。伊藤さんの語り口がとても軽妙でどこを切り取ってもとても楽しいインタビューとなりました。自らのうずきとワクワク感で会社を設立した伊藤さん、会社を設立してからその大変さに気づいたと明るくお話くださいました。どんな苦境にあっても、初心のワクワク感をいつも忘れない結果が今なのですね。伊藤さんの中に飛び跳ねる元気玉を感じました。このようにはじめに行動ありきの伊藤さんですが、その原点はすでに高校生のころに発揮されていました。次回は高校二年生のときに自転車一人旅で行った「営業の原点」をお聞きしています。さらにライフワークとなった写真のお話も存分に伺っています。


川添 香(かわぞえ かおる)

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